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20260511
Blue Jeans - HANA
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blue jeansと古いスニーカー。
ブルーのジーンズも、古いスニーカーも、華やかなファッションアイテムではない。誰もが身につけられる、ありふれたもの。この二つの言葉には、自分に自信を持てずにいる存在の輪郭が滲む。
特別な比喩ではなく、高尚な文学表現でもない。それでも、このふたつの単語が並ぶだけで、他のどの曲にも似ないオリジナリティが生まれる。
着飾った特別な誰かではなく、そのままの自分を肯定しようというHANAというグループのコンセプトをも内包する...と同時に、物語の舞台を強烈に印象づける役割を果たす。
しかも、その二つが奇跡的に韻として結びついている。
これはもう発明と言ってもいい。
この曲を語る時、どうしても頭から離れないのが、『イン・ザ・メガチャーチ』という小説の存在だ。
推し活を題材に、ファンダム経済の光と闇を描いた作品。信仰と経済が結びついた時、人はどこまで熱狂できるのか。そして、その熱狂が時にカルト性や陰謀論的な空気へ接続し、破滅性すら帯びていくこと。
本来、信じることは人を救うためにあるのに、そこへ資本主義が入り込んだ瞬間、信仰は巨大な市場へ変質する。朝井リョウ氏が描いていたのは、まさにその危うさだった。
その文脈で見ると、「No No Girls」というサバイバルオーディションを経て誕生したHANAという存在は、『イン・ザ・メガチャーチ』が描いたものを、そのまま現実へ持ち出してきたようにすら見える。
才能ある参加者。才能ある企画者。そして、それを消費しながら熱狂していく視聴者。
オーディション参加者は、企画という巨大な物語へ乗り、企画側は参加者の人生や感情を編集し、魅力的なストーリーへ変換する。視聴者は、その物語へ感情移入し、推しを見つけ、熱狂していく。
もちろん、それ自体を否定したいわけではないが、自分自身はどうしてもそこへ完全には没入できないでいる。どこかで、作られた物語として見てしまう。
そもそも、本能的に惹かれる物語は、少し種類が違う。たとえば、お笑い芸人が、小学校時代からの同級生とコンビを組み、「こいつとならいける」と互いを信じながら業界へ殴り込みをかけていくような物語だ。
そこには編集されたドラマではなく、長い時間の蓄積がある。企画以前に、人間関係そのものが存在している。
だから、サバイバルオーディションという形式には、どうしても一歩引いた視点になってしまい、熱狂の輪の外側から、「なるほど、うまくできている」と眺めてしまう自分がいる。
だが、『Blue Jeans』は、その距離感を突破してくる。
なぜなら、この曲が扱っているテーマは、あまりにも普遍的であり、冒頭で触れた、blue jeansと古いスニーカーという奇跡的な組み合わせが、その感情へ一気に触れてくるからだ。
気づけばこちらは、「HANAという存在をどう見るか」と、熱狂を外側から見ていたはずなのに、いつの間にか感情の共有地点へ立たされている。それは、まぎれもなくこの曲が持つ完成度と魅力によるものだ。
戦略性やファンダム経済の構造を理解したつもりでもなお、最後には楽曲そのものへ引き戻されてしまう。気づけば、HANAの物語ではなく、自分自身の記憶をなぞっている。
そこに、『Blue Jeans』の強さがある。









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