20200529

夜警 - レンブラント・ファン・レイン

夜警 ― "De Nachtwacht" と呼ばれるこの絵が、その名前で呼ばれるようになったのは、制作から200年ほど経ってからのことだ。実際のところ、この絵の正確なタイトルは決まっておらず、「バニング・コック隊長率いる火縄銃組合の人々」と呼ばれることもある(参考サイト:URL)。

オランダの各都市を守る自警団の団員を描いた絵画は、集団肖像画と呼ばれることが多い。当時のオランダにおいて流行していたテーマでもあり、周辺諸国が宗教的絵画を貴ぶ時代背景だったことと相まって、オランダの文化・風俗の独自性をうかがい知ることができる。自警団の全員が集合し、画中で一列に並んだ様子は、例えるなら日本における学校の集合写真に類する印象を受ける。

夜警と呼ばれるようになったきっかけは、200年が経ちニスが剥落を始めたころの、剥がれ落ちたニスの面がきらきらと光ったことが、暗めの背景と相まって夜空のように見えたとも、背景の退色を夜空になぞらえたからとも言われている。

絵画的な技術、色彩感覚、動的に対象をとらえた構図などは、絵画の教本で飽きるほど解説が繰り広げられる箇所だ。
そのため、ここではこの絵が、他の自警団を描いた絵画とは決定的に違う点を述べたいと思う。

この絵画、通称『夜警』と、他の同種の絵との決定的な差は、作家の取捨選択と恣意性が色濃く反映されているところだ。前述のような、関係者を全て均質に描く、という集合絵の前提は、この絵にはみじんも感じられない。それどころか、中央に並ぶ二人と、奥の少女以外は、ピントさえも合わせずに背景に同化させるような筆致ですらある。表情ひとつをとっても、真剣さを感じるのはその3名のみで、残る人々はどこか上の空だったり、その場の真剣さを共有していないようにさえ感じられる。

けれども、この自警団が殊更そうだった、というわけではないのだろう。
当時のオランダは長年に及んだスペインやフランスとの緊張状態も緩み、経済的な繁栄を謳歌していた。そうした状況下での自警団は、必要に基づくものというより、社会的な地位と名誉のための飾りとしての役割を強く持つものに変わってきていたと考えられる。
そうした状態への問題意識が、レンブラントをして、集団肖像画のセオリーでもあった均質性を打ち捨てることを選ばせた、と評されることもある。
(参考:Why This Is Rembrandt's Masterpiece - YouTube


しかしこの絵画を制作した後、レンブラントの評価は二分される。レンブラントの絵画性と注文主の要望が乖離する事態に陥り、絵画の注文で生計を立てるのが困難になっていくのだ。彼の名を永久に歴史に留めた絵画であると同時に、彼の生活を以降25年にわたって苦しめるきっかけを作った絵画でもある。


『夜警』は現在、オランダ・アムステルダムの王立美術館で修復作業に向けた状態確認が進められている。作業はガラス壁の向こうで公開されており、観覧することも可能。
参考:美術手帖
参考:Operation Nightwatch - Rijksmuseum

Text by kato

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カメラ、写真がない時代に、いかにして自分たちの姿を留めておくか、それは貴族だけではなく市民による自警団にも及んだと。リファレンスによると市民自警団の組合集会所のメインホール新設に伴い依頼されたものだとある。なるほどだからこれほど、お洒落をした隊員たちになっているのか。絵画からは当時の様子が垣間見られ、ファッションの流行まで伺い知れるのがおもしろい。

特筆すべきはやはり、光の創り方。不自然にも思える光の当たり方ながら、向かって中央左の女性のスポットライトが、殺気立つシーンの中、一気に柔らかさを広げてくれる。

そして、光があれば生まれるのが影。中央の主役3人以外を影で覆うようにした演出は、注文主の要望すらを無視してでも、ドラマチックに仕立て上げたアーティスト精神に溢れている。果たしてそんな選択をできるのだろうか...自問せずにはいられない。

マスター
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