interview
音楽が人生に与えた影響と
現在までのマインドの変遷を辿る
その後の人生に大きな影響を与えたアーティストとの出会いや、思春期特有の尖った考え方がどのように変化していったのか。音楽のルーツをたどりながら紐解いていく。
社会人となり、数社を経てwebディレクターとして働く今のリアルな心境についても語ってもらった。
Section.01
音楽との出会い
—まずはみなさんに聞くんですが、音楽との出会いを教えてもらえますか。
INOSAN順を追って思い出してみると、一番最初は親と一緒に乗る車のカーステレオから流れてくる、ミスチルやスピッツといったアーティストからでした。
でも意識して聞いていたというわけではなく、よく流れているぐらいのものでした。
出会いという意味では、どちらかと言うと叔父の影響が大きいです。叔父はスノボーやサーフィンといったアクティブなスポーツをする人で、洋楽のハードなロックをよく聞いていました。
そんな叔父からCDを借してもらい、僕も洋楽を聞くようになりました。
—それは何歳ぐらいの時ですか?
だいたい小6から中1ぐらいの歳でしたね。その頃から自分でもいろんなアーティストを漁りだしました。
—まわりではどんな曲が流行っていましたか?
当時は、バンプやアジカンといったバンドが全盛期で、まわりの同級生達はみんな聞いていました。僕も同じように聞いてはいたんですが、叔父の影響からちょっと世代の違う昔のロックを聞き漁っていました。
そんな時に出会ったのが、「スーパーカー」です。
—スーパーカーとの出会いは特別だったんですか?
はい。今の自分の音楽の趣味を形成するうえでの一番大きなきっかけはスーパーカーとの出会いでした。
ちょうど中学2年の時に、「Lucky」という曲を聞いたのがきっかけです。
この曲は、付き合ってたカップルが別れそうになっている状態の歌なんですが、その最後がドラマチックに綺麗に終わるわけでもなく、ほんのちょっと「ラッキー」になればいいな、って終わるんです。
ベタな言い方にはなってしまうんですけど、飾らない等身大の歌詞が妙に自分に刺さったんです。
—失恋の歌となるとどこか大げさな表現になりますよね。
そうですね。でもこの絶妙なバランスの歌詞が自分にはぴったりでした。
さらにその後に聞いた「ストロボライツ」という曲には衝撃を受けました。歌詞を見てもらえば分かるんですが、強烈なインパクトのある不思議な歌詞でして…。
—確かに、独特な歌詞ですね。
正直最初は良さが分からないというか…。意味が全く想像できなかったわけではなかったんですが、はたしてこれが良い歌詞なのか…どう判断して良いかわからず困惑していたのですが、ただLuckyを知っていたことによる信頼があったので、とりあえず我慢して聴いてみようと。そのうち好きになるんじゃないかと。
世間一般が思ういわゆるロックやパンクっぽくはなく、物静かでどこか冷めているように見えるんだけど、でもロックを鳴らしている。そんなスタイルが、10代の僕にはぴったりだったんだと思います。
この人たちについていこうって思いました。
—そんなバンドに巡り会えたのはとてもいいことですよね。そんな彼らの音楽に救われたみたいなエピソードってありますか?
INOSAN「救われた」っていうとピンとこないし、具体的な出来事もぱっと思いつくものは正直ないですが、、反対に悪影響とも言えるような、、
—と言うと?
スーパーカーって、ちょっと奇跡的なバンドで…。というのも、メジャーデビューするまで本人たちは人前で演奏したことがないんですよ。レコード会社のオーディションで初めて人前で演奏して、メジャーデビュー後に初めてライブをしたという…。だから楽器の演奏はそんなにうまくなかったんですよね。むしろ下手だった。
ただ、そんな状態でも才能を買われてメジャーデビューをすることができ、当時の音楽好きたちに認められた。泥臭く下積みを重ねて出てきたバンドじゃないと思ったんです。
—努力じゃなく才能があったから売れたということですか。
当時の僕はそんな風に考えました。
自分の気持ちを代弁してくれるバンドのようにも思っていて、もろに影響を受けた僕は、自分にも何か人にはない才能が備わっていて、成功することができる。がんばって何かを極めるなんてある意味かっこ悪い、そんな風に思っていたんです。
いわゆる「ダウンタウン病」ですね。
—ダウンタウン病!
はい。すっかり尖っていましたね。
Section.02
仕事や趣味、音楽以外について
—では、音楽以外の話も聞かせてください。何かスポーツなどされていましたか?
INOSAN一番最初は、ほんの一瞬だけ野球をやっていました。でも、野球って試合も練習も待ち時間が長く、僕にとってはつまらなく感じてしまったんですよね。
—たしかに、打つときも守るときも野球は待ち時間ばかりですね。
はい、なので小学校高学年ぐらいにサッカーをやりだしたんです。ちょうど日韓W杯間近頃で、、サッカー熱が高まった時期でもありました。
ついでに言うと「サカつく」もやっていて、ゲームではあるんですが、チーム経営にも興味を持ち出したんです。
—サッカー選手を目指したりとかはなかったんですか?
INOSANサッカーをやっている小学生ぐらいの子達は多分みんなそんなことを考えていたと思います。
でも僕は、小6のとき2ヶ月ほど入院しなければならない病気になり、当初は1〜2年程度で再発する病気かもしれないと言われたんです。結果的には、全く再発せず違う病気と診断されたんですが、その当時は、再発すると考えるとサッカー選手は無理だなとあきらめてしまいました。
—それは大変でしたね...。
さっきも言ったんですが、「サカつく」の影響でチーム経営に興味が出だしていたのもあり、プレーできないなら経営はどうだろうと思うようになったんです。当時も今も高知にはJリーグチームがないので、僕が高知にJリーグチームを作ってしまおうか、みたいな。当時サカつくというゲームの中でやってたことを、現実でも実現しちゃえば面白いなと。そしてそんなことを小学生の時分から考えるやつなんて他にいないから多分実現できるだろうって(笑)
—inosanは高知出身でしたね。
—小6でサッカーチームの経営に興味を持ち出したんですね。
はい。ここでもいろんな事がつながってくるんですが、音楽を教えてくれた叔父が、僕が小学校中学年くらいの頃によくフリマを催していて、その手伝いを小学生ながらすることがあったんです。
売り手として手伝わせてくれて、僕の考えた陳列でモノが売れたときはうれしくてたまりませんでした。
—それはいい思い出になりますよね。
お客さんにお金を渡されて感謝されたときは、商売や経営というもののおもしろさが分かったような気分でした。
INOSANダウンタウン病ならぬ、「スーパーカー病」にかかっていた僕は、まわりがサッカー選手なんかに憧れている頃に、経営について考えていることに一種の優越感を持ち出したとも言えるかもしれません。どこか自分は他とは違うと思いたかったんでしょうね(苦笑)。
—そんな時から経営のことを考える人はそうはいないですからね。
そのまま大学は経営学部に進学することにしました。SWOT分析やPEST分析など、経営やマーケティングの基礎と言われるようなことを学びました。
—社長になろうとかは思わなかったんですか?
経営には興味があったんですが、社長になろうとは思いませんでした。学生ベンチャーや若手起業家といった人たちと交流するイベントなんかには参加したりしてたんですが、そういう人たちとはどうも違うなと感じたんです。自分はお金儲けがしたいってわけでもないし…チヤホヤされたいってわけでもないし…。なんというか、小学生の頃叔父と一緒にフリマをやっていたあの面白さとはだいぶ乖離があるなと思ったんでしょうね。
—なるほど。
INOSANそうして、どうしよかなって考えているうちに、就活が解禁されて、あてもなくいろんな企業の説明会や選考を受けているうちに出会ったのが、通販であったりWebだったんですよね。もっというと「ダイレクトマーケティング」という言葉に惹かれましたね。
フリマの時に体験した、お客さんの顔が見える商売が、若干方法は違えどWebを通して遠隔で可能なんだ!って思いました。
ちょうどECサイトがいよいよ主流になるような時代で、これなら僕の望んでいたことができる!と思いました。そこからweb関連の仕事に就くようになったんです。
—なるほどそうやって、ECサイトに関わるようになっていったんですね。
INOSANそうですね。僕が新卒で就職した会社が事業会社で、そこでECを担当させてくれたんです。その時はECのノウハウが会社にも全くない状態だったので、新卒ながらかなり自由にさせてくれたので、本当にやりがいがありましたね。
ある商品について、どんな人に役立つかを考え、その人たちにどういう方法で何を伝えるかを考え実行する。しかもそれが商圏など関係なく全国の方々をターゲットにできる。そしてその結果が売上やPV数、コンバージョン率といったわかりやすい形でフィードバックされる。とにかく楽しかったですね。新卒1~2年目くらいが一番のびのびと仕事をしていたかもしれないです。
ただ、楽しかったからこそ、もっとWebについて勉強したいという欲が湧いてきて、その後制作会社のディレクターにジョブチェンジすることになるわけですね。
Section.03
現在の音楽ライフについて
—では、音楽について話を戻したいと思います。今はどんな音楽を聞いていますか?
INOSAN回答に困るくらい、いろんなジャンルを聴いてますね。。自分自身でルールを決めたりしています。
—それはどんなルールですか?
よくよく考えてみると、スーパーカーにはまって以来、じゃあ彼らが影響受けたアーティストって誰なんだろうと遡るようになり、そこでコーネリアスに出会い、次はコーネリアスに影響を与えたアーティストって誰だろう...と、どんどん深堀りするようになりました。
そうやって歴史をたどっていくと、最後は「はっぴぃえんど」に行き着いたんです。このWHRMでもはっぴぃえんどの「夏なんです」を取り上げたこともありました。
—たしかに、日本のロックをたどっていくと「はっぴぃえんど」にたどりつきますよね。
今度は、はっぴぃえんどを起点に時代をどんどん現代に戻していくんです。そうなるとアイドル歌手から何から何まで広がってしまい収集がつかなくなってきました..。
今はスーパーカーの影響を感じられるアーティストをよく聞きますね。(For Tracy Hideとか、RAYっていうシューゲイザーやってるアイドルとか。)
良いバンドってのはもちろんですが、、変な話、僕がもしミュージシャンを目指してたとしたらこんな音楽やりかったんだろうなぁってのを、僕の代わりにやってくれている、みたいな感覚がちょっとあります。だから興味深く追っかけてますね。
Section.04
WHRMに参加してみて
—ではこのサイトにライターとして参加してみて、どう思いますか?
INOSAN「自分、文章書いたりして伝えようとすること、なんだかんだ好きなんだろうなぁ」って、記事書くたびに再確認してます。
今の仕事と重ねてみると、WFを作っているような感覚があったりします。
—それはどういうことですか?
見る人に順序立てて説明したり、特に意識して欲しいところを強調するようにしたり、いかにして伝わるように説明できるか考えるのって、webページのWFを考えるときと似てるんですよね。
僕が、このサイトで初めて書いたチャットモンチーの「愛捨てた」の記事もまさにそんな気持ちで書きました。
—音楽を文字で表現することについてはどう思いますか?
誰しもが思うことと思いますが、やはり難しいです。でも、難しいからこそ、人それぞれに個性が出て面白いなぁって思います。
昔、スーパーカーの良さを広めたいという気持ちで、モバゲーのコミニティを作っていたことがあるんです。
—おお、そんなことをされていたんですね。
でも、それに近いことはいろんな人がやっていたんですよね。
そこで、Twitter小説の書き出しをひたすら紹介するbotがあったんですが、今度はそれを真似て、歌の歌いだしを紹介する記事を書いてみたりするようになりました。歌の歌い出しに特化して紹介したりレビューしたりしている人は、他に探してみてもいなかったので。
—なるほど、ではこのサイトのライターとしてぴったりですね。
そうですかね..。でも無理ない程度に、定期的に続けていきたいです。
Section.05
将来の夢
—では最後に、将来の夢はなんですか?
INOSANうーん、、今はいくつかの夢(というかやりたいこと)を描いてみて、考えている段階…ですかね。でもいつかは地元に帰るんだと思います。
—地元に帰ってどんなことをするんですか?
実は、ちょっと前までは地元に貢献するために、そろそろ戻る頃かなと思っていたんですが、最近になってまだまだこっちでやることがあるのかなと思うようになりました。
自分のこれまでの経歴から、ありがたいことに周りからいろんなことを期待されるようになり、まずはそれに応えられるという自信をつけたいと思ったんですよね。たとえそれが、僕の本当にやりたいこととは多少ずれていたとしても。
—どんなことを期待されるんですか?
ECサイトの企画や運営のことは前々から期待されていて、それについてはある程度自信があるんですけど…。そこから発展してECサイトのシステム構築、さらに他のさまざまなシステム構築の設計やディレクションなどですね。SEのような役割を求められることも多くなりました。たしかに実績がないわけではないけど、自信があるかと言われると、まだないんですよね。。
あちこちオードリーという番組はご存知ですか?
—はい、知っています。
芸人さんを深堀する番組は基本的に好きなんですが、ある回でロンブーの淳さんが言われていたことが印象に残っているんです。
淳さんがだんだんとMCの役割を求められるようになってきた30代前半くらいのとき、それがやりたいことなのか悩まれたそうですが、まずは自分に求められることを精一杯がんばろうと思うようになったそうです。
その結果時を重ねて余裕が出てきて、淳さんは50代目前の今が一番ギラギラしていて楽しいそうです。
INOSAN僕も、求められることに応えられるよう、今は精一杯がんばるときなのかなと思います。
—なるほど、それは大切なことですよね。
今はまだ無理にやりたいことだけを追求するというより、まわりからの期待と、自分にできることを伸ばしていきたいと思っています。
そうしてがんばった先に、自分のやりたいことを、更に高いレベルで明確に描けているかもしれない。そのやりたいことをより自由にできる時がくるかもしれない。そう思っています。田村淳さんみたいに、自分が40代とか50代のときに楽しい人生が送れてたらいいかなって。
—では、このWHRMの記事もよろしくお願いします!
わかりました笑
Profile
INOSAN
Webディレクター
東京一極集中の世の中に危機感を抱き地方から生み出される芽を見事に拾い上げる。制作会社のWEBディレクター。
求められたものに愚直に応えていくことによって、自分の役割を全うする。
今後のWHRMのライティングにも期待がかかる。