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20191211
ナイン・トゥ・ファイバー - Sympathy
土着性をもつ邦楽ロックってのがあって、京都のくるり、徳島のチャットモンチーなんか代表的かと思います。
ただし、方言を駆使すればいいってもんでもないのが面白いところ。地方アイドルがやりがちなこの手法は、マーケティングを狙いすぎてて不自然になって土着性は失れる例が多々。
つまりは土着性を帯びるためには、「等身大」とか「普通の若者の音楽」ってのがとても重要なんだろうなぁと思います。
んで、高知でいうと、Sympathyがその、高知の土着性をもつ邦楽ロックにあたるのかと思うのです。
高知の女性らしい女性のことを「はちきん」と呼ぶけれど、
酒を飲める女子であれば高知の女性かといわれると、必ずしもそうでもない気がする。
男勝りな女性が高知の女性っぽいといわれると、必ずしもそうでもない気がする。
どうしてもこの手の地方独特の言葉は、地元の人でしかわからない、言葉での表現も難しい暗黙知ってのがあって、そういうのがちゃんと音や文体に表れてる感。
ただ、同時にSympathyの音には、どこかアメリカ西海岸のバンド(Dum Dum Girlsとかseaponyとかそのへん)の音と共通している要素もある気がするのが面白いところ。
気候も学術的には異なるはずだけど、日差しとか似ているのでしょうかね。
そしてこの「ナイン・トゥ・ファイバー」という曲に関しては、
南国特有の強い日差しが、(地方のわりにはわりとさびれてない)高知市の中心街に降り注いでいるその光景が目に浮かびます。
具体的にいうと、自転車がたくさん停められているおびさんロードと呼ばれる通りの、マックの裏手あたりを女子高生が歩いている光景が目に浮かぶのです。笑
ほんと、僕が中高生の時代にsympathyがいれば良かったのになぁって思う。そうしたらもっと僕の青春時代に彩りがあった気がする(いい意味でも悪い意味でも)。
ちなみにこのMVで使われている校舎は小津高校でして、彼女たちの母校です。
僕もよくサッカー部の練習試合で訪れていたし、小津高のオープンキャンパスも中3のとき行ったし、もちろん知人もたくさんいて、文化祭も足を運んだし・・・と、いろいろ思い出深い学校なので、それがMVになってるのはなんだか不思議な感覚です。
COMMENT
音楽が生み出される要素として、その人たちの生い立ち、影響、土地勘、そして時代などがある。
かつての神秘性を持ったカリスマ求める雰囲気から、自分たちとなんら変わりない存在が作り出すものに共感するように変化しているのかもしれない。その好例。
子供から大人へと成長する心と体の変化を、授業中-放課後-帰宅後という学生にとって生活の中心となる3つの時間軸で表現。
あっという間に過ぎ去る時間なのに当事者にとっては永遠にも感じる焦りが疾走感溢れるギターに乗って訴えかけてくる。- マスター
- 皆さんからのコメントお待ちしております。お気軽に投稿してください。
- inosan
パイセンンンンンンンンンンンンンンンン会いたいっす!!!(叫)
イントロの疾走感から目の覚めるようなコード進行は、概ねとてもユニバーサルなのに、どこか「ふしぎ」と感じる音運びと言葉選びがあって、そこがきっと私の知らない(けれど高知のひとたちにとっては自明の)世界なのだろうと思います。
自分が中高生の時代にこの曲があったらよかった、って、ありますよね。私にとってはザ・なつやすみバンドとかBurnout SyndromesとかドロスとかThe Peggiesがそれかもしれないです。