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20200522
Nothing Revealed / Everything Denied - The 1975
静謐なピアノのイントロに、ゆっくりと、他の音が重なりはじめる。グランドピアノに近づく足音、すずやかにグラスの触れ合う音、大人たちのささやき、対話、それをさえぎる子どもの呼び声。
ジャズピアノの録音に紛れ込んだのかと錯覚させるほどひそやかなそれらが、次第に存在感を増したところに、唐突に整然としたコラールが降る。ここは「どこ」なのだろう?
整然とした合唱のようなサビから転じて、二つのラップが重なる。白木のような若い声と、渋いオークウッドのようなそれ。人の声がいつの間にか、ピアノよりも大きなうねりに変わる。再び繰り返される合唱。
その時になって、我々は初めて、自分たちが雑踏の中に連れ出されていたことを知る。悩み、苦しみ、あがいてもなお何も変わらないかのように見える「今」がひしめき合う雑踏に。
ジャズに聖歌にラップ、エレキギターが泣くように響く結章は、多様な要素が重なり、もはや何のジャンルかを定めることは困難だ。The 1975はまるで現代絵画のように要素を組み合わせて、それらの理解と定義を、すべて聴く側に委ねてくる。
この曲はいわば、現代アートのインスタレーションのように、ひとつひとつの物がかたちを変えぬまま、そこに併存している「状態」。それら全てをつなぐのが、何度も繰り返されるコラールだ。本来は宗教的な創造主を称える目的で歌われるものだが、この曲のそれはまるで、全ての生活、全てのいきものの上に降りそそぐ、言祝ぎであり祈りであり、呼びかけのように聴こえる。違う声で、違う音域で、それでも同じ言葉に、声を和していく。
Is there anybody out there?
COMMENT
まるでアーティスト、ジャクソン・ポロックの「ドリップ・ペインティング」を思わすような、秩序と無秩序が共存している一枚の絵画的楽曲。
雑踏を含めたすべての音を、もはや解釈不要なまでに見事に調和させていて、それは「音をなぞる軌跡」に身を委ねることを求めているかのよう。
- マスター
ちょーど!私も金曜日にこのアルバムをずっと聴いてました。いいですよね。だれかがここには一切エゴがないと言っていた。
聴きなれたメロディかと思いきや滴が染み込んでくるかんじ。チープで親しみやすいと思いきや、そっと後ろにもいるような、
もはやどれがどの曲名だったかわからないのですが!どこにいるんだろ どこみてるんだろ
もっかいこの曲きいて文章読んで想像できた
ので突然よい夜になった- mikko
- 皆さんからのコメントお待ちしております。お気軽に投稿してください。
- kato
デビュー間もない頃からMステに出たってだけで、なんとなく聴かず嫌いしてた自分をちょいと恥じた。