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20200526
Drop - Cornelius
『日本人とリズム感 - 拍をめぐる日本文化論』という本を読んでみた。
その本の中に、こんなことが書いてあった。
"日本人は音の世界においても、切断する音の展開と途切れのある音的素材を好んできた。突然音を区切り、そこにできる何もない時間に情感と余韻を感じ取る。切ることでタメをつくる。好んで「間」を作るのである。しかし西欧の音楽は、残してゆく音の連続の中に余韻を感じ取る。"
この文章を読んで、
あ、コーネリアスってやっぱ日本っぽいって言えるんだなぁ。この区切りや無が、独自性を高めて海外でも人気な理由の1つなんだろうなぁ。
って思った。
今回の記事はなんだか簡単な書籍紹介になってしまいましたが、以上で。
...にしても、もはやコーネリアスというバンドのドラマーといって過言ではないであろう、あらきゆうこのドラムは神ってるっていつも思う。
COMMENT
各楽器が呼応するように交互に行き交うのが句読点のような役割になり、まるでひとつの短編小説のよう。
自分のなかの引き出しにないジャンルなので、新鮮に聞こえる。- マスター
最高です。動画はまたみていません。先週なんどこの曲を紹介しようとおもって挫折したことでしょう。
聴きました。
最高です。
コーネリアスの音を日本ぽいと考えたことはなかった、けど説明されるとなるほどと思って、たしかに突然むちゃくちゃ日本の音楽に聴こえるから不思議
このぶつぎりがきもちいいのはなんでなのでしょう
本、読んでみます。- mikko
- 皆さんからのコメントお待ちしております。お気軽に投稿してください。
- inosan
麻三斤、という仏教の問答に近いものを感じる。「仏とはなにか」という問いに、高僧は「麻三斤」と答える。麻三斤は僧侶の袈裟を織るのに必要な麻の量だが、それは「仏とはなにか」を説明するものではなく、その問いを構成する自分の前提・偏見・背景などを打ち崩すことを企図している――と言われている。コーネリアスのこれも、「音楽とはなにか」「日本的なものとはなにか」を断続をもって打ち崩すことで、かえって日本らしさ(海外で言うならば禅思想とでもいうのか)を際立たせているような気がする。