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20211217
私たちの望むものは - 岡林信康
学生時代の個人的な思い出について振り返りたいと思う。
恵まれたことに?いわゆる普通の家庭に育ち、平凡に暮らしてきた高校生が大学入学を迎えるわけだが、そこでは東京をはじめ、北海道、仙台、名古屋、岐阜、岡山、広島、鹿児島...と、一気に出身地が異なる人たちと交流することになる。狭い世界で生きてきた自分にとっては、その環境になじむのに戸惑い苦労した記憶がある。
元々積極的ではない性格だった上に、実家暮らし。まわりの地方出身者は大学近くで一人暮らしを始め学生生活を満喫しだす。どうにもとけ込みきれない自分がいた。
また、高校までとは違い同い年の横のつながりだけでなく、上級生との交流も盛んになる。同級生ですらうまくなじめないのに、一つも二つも年上の人たちとうまくやっていかなければならない。
淡い希望を抱いて入学した大学生活に、どこかなじめずにいたそんな時に出会ったのが同じ部活の一つ上の先輩。年齢はひとつしか違わないのに、だいぶと経験をつんだ人生の先輩のような人だった。例えるならば、キテレツ大百科の勉三さんや、二十世紀少年に出てくる中村の兄ちゃん。何も知らない世間知らずの自分に、まだ見ぬ大人の世界を教えてくれるような存在だった。
そんな先輩も含め部活のメンバー数人でカラオケによく行った。その時決まって歌うのが岡林信康の『私たちの望むものは』。生まれる10年以上も前に流行したこの曲を、十八番のように歌う先輩も相当変わっているが、集まったみんなで熱唱するのが定番だった。
この曲は、これまでの外に向けたプロテストソングから変化し、自身の内面を掘り下げるような曲とも評されている。しかし自分にとっては真逆で、この曲を聞くと、まだ見ぬ外の広い世界を垣間見れるような心情だった。
「私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私でありつづけることなのだ」
アーティスト達が世に発表した曲が、いつどこで誰にどんな風に刺さるのかは分からない。おそらく『私たちの望むものは』が生まれた文脈とは全く違う形で、自分の中に強く刻まれることになった。
20歳は越えても、まだまだ親のすねをかじる一学生が、精一杯背伸びをしていただけだったのかもしれないが、みんなで熱唱すれば一人の自立した「わたし」になれた気がした。あの時、この曲を教えてくれた先輩に感謝したい。
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