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飛鳥の恋人

2008/11/12 [22:23]

奈良市から南へ進む。斑鳩、天理、橿原を経て、明日香村へやってきました。


飛鳥時代に興隆した蘇我氏の首領、蘇我馬子の墓とも言われる「石舞台古墳」。
丘の上に巨石がドンドコどんと積まれ、中の部屋、石室も広くてスゴいです。
居合わせた、修学旅行なのか、女子高の女生徒たちもキャンキャン騒いでいました。


規模はさほどでないものの、美しい壁画で有名な「高松塚古墳」。
このほど、文化庁の失態でカビを生やしてしまったという、その壁画は、解体修理のただ中でしたが、(写真はポスター)
代わりに壁画資料館でレプリカを見ます。
玄武、青龍、朱雀、白虎、伝説の四獣と、着飾った人々に四面を囲まれ、
天井に輝く星宿(星座)を仰いで、
土中の石室に眠った有力者のみた夢とはいかに。。。


天香久山、畝傍山、耳成山。
大和三山に囲まれた僅かな平地に、古墳と遺跡が、これでもかと集合しています。
その狭さは、この表現で伝わるか分かりませんが「中学校の校区なみ」。
この中学から日本は始まったのか…。
辺りの狭さに変に心を動かされ、また今の日本の広さを知りました。


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なんとみごとな

2008/11/09 [19:34]

奈良駅の手前で、平城宮跡は、近鉄電車の車窓からいつもほんのひととき現れます。


ほう、ここが平城京か。
と感慨に浸ろうとすると、さっさと電車は街並に飛び込んでいってしまう…。
東大寺や興福寺や春日大社と違って、
平城宮は今は「ただの広場」なので、奈良観光では外されがちで、
小学校の遠足から始まって、幾度となく奈良に来ていても、
平城宮跡には僕は行ったことが無かったのでした。


というわけで、
いつも車窓の外を口惜しく流れて去る宮を、今回はゆっくり感じてきました。
ちょうど昼時だったので、弁当を買っていきます。
広場の真ん中北の一段高くなった場所は、
平城京の中心であり、天皇がまさしく政を行った「太極殿」の跡。
ここは地元の人の、ちょっとした憩いと安らぎの場所になっていて、
広大な平城宮跡を渡る風に体を委ねて
気持ち良さそうに昼寝する人の姿がちらほらありました。
ある人が目を覚まして去ると、次にやってきた人がまた横になり、
こっちでゴロリあっちでゴロリ。


気持ち良すぎる太極殿に、僕は自転車を担いで上がり、
「かまどや」の唐揚げ弁当を食べ、そして、


昼寝をしました。


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拾いにいこう

2008/11/08 [12:14]

そういえば、奈良県に足を踏み入れていなかった。


大阪港から再びフェリーで大分・別府に戻って九州の旅を再開する予定ですが、
その前にちょこっと寄り道して、
秋深き古都奈良を走ることにしました。


枚方を出て、木津川のサイクリングロードを快走して南下します。
旅に出る前に、トレーニングがてら、よく走っていたこの道…。
若かったあの頃、何も怖くなかった。
ただ、出発するのが怖かった。。。
ススキが揺れ、野焼きの煙がたなびいて、
つめたい11月の風が川を渡っています。
洗い髪が芯まで冷えて、
ペダリングの度に、調子の悪いギアがカタカタ鳴るのでした。


拾いにいこう
置き去りにしていた奈良県の道標と、
平城・飛鳥、古代王朝の残り香を、
名曲を思い出すように拾いにいこう。



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