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原爆ドーム

2008/08/15 [23:10]

8月15日。63年目の終戦記念日。6日から滞在していた広島市をようやく離れることに決め、午前中は平和記念公園で過ごしました。


取り巻く人がいつもより多いことを気にも留めず
原爆ドームは今日も建っている。
不謹慎かもしれないが、それにしても美しいかたちだ…。
朝でも昼でも夜でも、そして360度どこから見てもほれぼれするほど美しいので、
時々立ち止まりながらぐるぐると回るのが僕の日課になってしまった。
また不謹慎かもしれないが、「棚田」の美しさに通じるものがある気がする。
どちらも、美しいものを創ろうとして出来た造形ではない、という共通点を考えてみたけど、さぁどうでしょう。


ところで、原爆ドームは最初から原爆ドームだったわけでは勿論ない。
1915年竣工の広島県物産陳列館(のち産業奨励館と改名)。
地上三階地下一階の、この豪華な建築物が、
廃墟となってこのような形で永久に保存されることになるとは、
設計したチェコ人ヤン・レツルも予想だにしなかったろう。
ここでは物産展や品評会のようなものが常に開かれていて、
カール・ユーハイムによって、バームクーヘンが日本で最初に売られた場所でもあるらしい。
きっと広島一のおしゃれスポットだったのだろう。
その後、催しの幅を広げ、戦争直前は美術展が盛んに開かれていたそうだ。


1945年の8月6日、しかし広島は壊滅した。
産業奨励館から東に200Mの島病院(再建されて今もある!)の上空で原爆が炸裂し、
館内の従業員らは全員即死だったと推定される。
推定、というのは、
川向かいの、今は平和記念公園になっているエリアは中島町という繁華街だったのだが、町そのものが無くなり、地下室にいた1人を除き全員死亡、
さらに少し離れた本川国民学校でも児童教職員全員死亡、というから、
何人いたかも全く分からないが産業奨励館の人も当然即死だったろう。ということだ。
かくしておしゃれスポットは、
何も知らずあっという間に死んだ人の魂の眠る、廃墟となった。


保存か取り壊しか。
広島市は取り壊し派で、市民の意見も分かれた。
そんな中で、1960年、ひとりの女子高生が原爆が原因とみられる白血病で死んだ。
日記にあった言葉が原爆ドームの運命を決めた。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐ろしい原爆の惨禍を、後世に訴えかけてくれるだろう」


原爆ドームは今日も
無残な姿で、風雨にさらされ、人目にさらされ、フラッシュを浴びつづけ、
歴史の証人として、健気に建ち尽くしている。
死者は、我々生者のようにものを考えることも話すこともできない。
あの一発で、極限にむごく死んだ人々の、
怒りや恨みや悲しみや、その他全ての気持ちを、
原爆ドームは託され、そして静かに吠えているのだ。


オレノ声ガ
聞コエルカ
アイツトアイツトアイツトアイツトアイツトアイツノ声ガ
聞コエルカ



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ラストイヤー広島市民球場

2008/08/15 [07:48]

広島市民球場は、今シーズン限りで、役目を終え、取り壊される予定です。滑り込みセーフで三連戦を観戦してきました。


対中日ドラゴンズ、一勝一敗で迎えた第三戦。
広島先発はエース大竹。
大竹の美しいピッチングフォームは見ているだけで気持ちいい…。
序盤からその大竹の快投が続く。
糸を引くようなストレートがズバズバ決まり、いつもの四球も今日は出さない。
一度T・ウッズにノースリーになったが、真ん中ストレートを狙い打ちしてきたウッズのライナーは、
前日のヒーロー、サードシーボルの素晴らしい反応によってグラブに収まった。
第一戦から、広島守備陣はファインプレイの連発だった。
サードシーボルは、真面目な性格の、滅多に打たない助っ人だが、守備は実にいい。
ショート小窪は、中日井端に比べると送球は弱いが、堅実で玉際に強い。
そしてセカンド東出。
セカンドに打球が飛ぶと最も安心できる。こんな東出を数年前誰が想像したろう。守備の安定が打席での余裕を呼び、相変わらず盗塁は下手だが、チャンスメーカーの働きを十分に果たしている。彼の才能に惚れ込んで使い続けた三村元監督も、胸を撫で下ろしているに違いない。


守備と走塁のミスを再三犯して流れを失ったのは中日の方だった。
広島は、守備のファインプレイの度にチームが勢い付いているのが伝わってくる。
第一戦こそ李の2発に敗れたが、流れは広島だった。
先週阪神を3タテしたばかりだが、この中日戦も三連勝でもおかしくなかった。
チームは最高の状態だ。
今年はいけるかもしれない。ラストイヤー広島市民球場のスタンドを埋めた2万6千人の期待は膨らむ。


大竹は中日打線を完全に押さえ込んで3安打1四球の完封勝利。
序盤は中日先発川井との息つまる投手戦だったが、赤松の2ラン、そして再び赤松のタイムリー3ベースで中日を引き離すと、あとはスイスイ投げた。
九回にはストレートが152キロ出た。


ヒーローインタビューの大竹。
「ご自身振り返って、どこが良かったと思いますか?
「守備。…味方の」
ヒーローインタビューの赤松。
「本当に沢山のお客さんが詰め掛けましたが…?」
「こんなに人がいてるんやと思いました」


本音はおもしろいです。




鋼の精神養成所

2008/08/13 [09:01]

呉から、これぞ瀬戸内海、といった体の狭い海峡を2つ、橋で渡って、江田島に上陸しました。


旧帝国海軍の本拠地が呉、海を挟んで対岸に江田島はあります。
明治から昭和にかけて、ここには海軍兵学校があり、多くの海軍将校がここで学び鍛えられ戦地に巣立っていきました。
現在は海上自衛隊術科学校、幹部候補生学校になっており、見学が可能です。
資料室には神風特攻隊の遺書がずらりと並んでいました。
二十歳そこそこの若者が遺書をしたためるって、どういうことですか…?
国のために家族のために死ににいく、鋼の精神。
部下にそれを命令する、鋼の精神。
美しくも恐ろしい、切なくも尊い、ここは大和魂養成所でした。


柔軟な思考、といいますが、柔軟のナンは軟弱のナンであります。
国を守る人には、
堅物で頑固で強硬で、それ故に強くあってほしいと思います。


写真は、自衛隊限定ドリンク(意味不明)の「元気バッチリ」と講堂。



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