隠岐の水を飲み、隠岐の魚を食べ、隠岐の人の優しさに触れ、そして隠岐の風を吸っているうちに、僕の体はにわかに隠岐のいろに染まっていきました。
流刑の島、というイメージしかなかった隠岐。
日本海に浮かぶ1つの島だと思っていた隠岐。
白状すると壱岐とごっちゃになっていた隠岐。
西郷港に到着したその日、
物価の高さと、人々の、僕を見る驚きと警戒の少し冷たい目に、
4、5日でぴゃーっと休まず走ってさっさと本土に戻ろう。
という気でいました。
ところが実際はこのとおりに、
いつまで続くんだ隠岐の風編!という声も聞こえてきそうな長居をすることになりました。
本当に幸せな時間だった…!
ところで、隠岐では、
アメリカ産のネーブルオレンジが一個150円、
高知産のニラが一束200円します。
世界一物価の高い町は東京で、二位は大阪である。
という言説は誤りだと知りました。
島で生産されて本土で売られる商品には、その逆の力が働きます。
輸送にかかるコストは、島民の生活を圧迫し、産業の成長を妨げます。(その威力は凄いです。)
離島の苦しさは、そのまま島国として日本がはらむ経済的危うさを示してもいます。
本土の過疎地では、僕が働いていた福井のあの大工場のように、どこでも、
企業をどんどん誘致して、外人もどんどん受け入れて、新しい町の発展の型を模索しています。
しかし離島では、その策は難しい。
島の人は、穏やかで明るいですが、
もう何十年も前から島の将来に不安を感じておられます。
しかし光明もあります。
海士町では、海産物の最新の冷凍加工技術を持つ工場が最近建ち、(町長自らが社長!)
新しい雇用も創出し、町の人口が昨年、転出を転入が上回るという「革命」を起こしたそうで、
いや本当に頑張ってほしい。
と心から思いました。
離島の現実はまことに厳しい。
自然がステキ人がステキだけでは不十分な気がしたので、
偉そうなことを書いてしまいました。。。
さて、忘れてはいけない、僕は沖縄を目指しています。
幸せに隠岐のいろに染まったこの体ですが、
そろそろ駒を進めなくてはなりません。
知夫里島の来居港から、本土の境港まで直通のフェリーには乗らず、
あえて、倍ぐらい時間がかかる、別府、菱浦、西郷を回ってから本土に向かうフェリー「くにが」に乗りました。
島前の青い内海を軽やかにはしる「くにが」のデッキから、
思い出深いあの岬この岬、あの港この港が両手に次々と見え、
やがて外海へ抜け、沖にある大きな島、島後に舳先が向く…
心のなかで、懐かしいあのメロディが聞こえてきました。
隠岐在住のシンガーソングライター広江政仁さんの名曲、
島後では夕方5時になると島内どこにいてもチャイム代わりに流れてくる、
隠岐を代表する、いや隠岐の心そのものと言ってもいいかもしれない唄。
『隠岐の風』です。
♪夢をのせてふく風 想い出運んで
懐かしい便りは ふる里のかおり
かすんで見える 遠い想い出
風に吹かれて届け 隠岐の島の風
♪言葉は何もいらない こころの隅に
想い出つづれば ふる里のかおり
つまびくギターの かわいたメロディ
風に吹かれて届け 隠岐の島の風
♪かすんで見える 遠い想い出
風に吹かれて届け 隠岐の島の風
風に吹かれて届け 隠岐の島の風
風に 吹かれて届け 隠岐の島の風
島影が遠ざかり、霧にかすんで見えなくなる頃、
トビウオが一匹、
隠岐に向かって強く飛行していくのを見ました。