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PROOF OF ASSHOLES

2009/02/18 [01:13]

「ありがとーうぃ!!!」


青空の下、一面のさとうきび畑を抜けた先の喜屋武岬に、
感慨無量で、もはや意味不明な気持ちのラストスパートで息を切らして僕がたどり着くと、
「来た!」「来た!」「来た!」「来た!」
4つの小声とともに4つの黒い影が慌ただしく動き、
ゴールテープが引かれました。
イナヴァ、キャプテン、マスター、レフティの4人でした。


このフィニッシュラインを作る為だけに大阪から一泊二日でやってきたこの会社員たちを、
僕は本当にアホだと思います。
自転車で日本を縦断するのと同程度にアホだと思います。


マスターが付けてくれた、この旅の素晴らしい題名
「PROOF OF ASSHOLES」、
=「愚か者の証明」
しかし最後の最後で、
バカ集団のバカ集団たる所以を証明したのは、
僕ではなく、愛するバカ集団の仲間たちでした。
ああ、僕はその事実に、泣きます。


思えば、何もかも人に支えられての旅でした。
重いペダルを軽くするのが人ならば、
孤独に渇いた心に水を与えるのも人でした。
支援してくれた仲間と家族と、
道中に出会った全ての人と、
これを見ている全ての人に、
死ぬほど感謝しています。
いっしょくたにして実に申し訳ないですが(笑)、


皆さん、本当にありがとうございました!!!



僕は自転車日本縦断を達成しました。
主要なデータを報告してブログを終えます。


日数…566日
2007年7月1日〜2009年1月17日


通過した都道府県…45


パンクした回数…約30回


職務質問を受けた回数…0回!


入ったコンビニの数…1000軒以上


訪れた陸繋島…約20箇所


訪れた棚田百選選出の棚田…約20箇所


総走行距離…18,104KM



……さあ、


どこまでいくのか。


comment (16)


15番目の月

2009/02/14 [23:36]

大学時代、ある時期からほとんど授業に出なくなった僕は、内心の有り余るエネルギーを全てヨットに傾けた。


丸3年取り組んできた競技。そして「引退」前の最後の大会が3月の中頃にある。
三回生から四回生に上がる時期だから、就職活動も始まっている。
僕には就職活動など無かったからいいが、仲間は大変だったはずだ。
日に日に説明会だか面接だかの予定が増えていくのに、週5や週6で練習が組まれ、
凍てつく寒さの2月の琵琶湖で、体を濡らして繰り返す苦行のような練習。
陸に揚がれば、部室で、暗くなるまで、いや暗くなっても、ミーティングが延々つづく。
僕は、就職活動組の倍は頑張ってクラブに貢献せねば、などと思って張り切っていた。
3月の大会そのものも良い思い出として残っているが、
僕には、仲間と駆け抜けたこの2月の日々の高揚感が絶対に忘れられない。


「祭りのあとの静けさが好き」と誰かが言っていた。
しかし繊細さに欠ける僕は、間違いなく、祭りの直前の昂ぶりこそが好きだ。
未知の領域へ、階段を一段一段駆け上がっていくような、
燃えるような思いのなかに生を実感する。
例えばオリンピックに出る人を僕が心から羨ましいと思うのは、
大会期間中に浴びるスポットライトではなく、結果としてのメダルとかでもなく、
何年も前からその試合に照準を合わせて、競技に没頭してきたはずの、彼らの日々にある。
選びに選ばれた者しか加われない祭りの、直前を駆ける高揚感…。
どれだけの興奮に支配されながら毎日をデザインするのだろう…。


ひどい口下手で無口な為にクールなどと言われることがあり、
自分でもそうなのだと愚かにも長く勘違いしていた僕だったが、
ヨットを通して、自分の中のこんな性質に気付いた。
クールなんてとんでもない、熱くなりたい性分なのだった。


あの2月、京都市内と琵琶湖を往復する毎日の車の中で、いつも「松任谷由実トリビュートアルバム」を聴いていた。
気分が高揚しているときほど音楽は身にしみるもので、
名曲ぞろいの素晴らしいアルバムに思えた。
鬼束ちひろが歌う「守ってあげたい」
原田知世の「CHINESE SOUP」
クレイジーケンバンドの「COBALT HOUR」
椎名林檎の「翳りゆく部屋」

そしてとりわけ僕の心に迫ったのは、
スピッツの「14番目の月」だ。


♪あなたの気持ちが読みきれないもどかしさ
 だから ときめくの
 愛の告白をしたら最後 そのとたん
 終わりが 見える
 Ah その先は言わないで
 つぎの夜から 欠ける満月より
 14番目の月が いちばん好き
 14番目の月が いちばん好き


この恋愛観が共感を呼ぶかは別として、「14番目の月」の比喩が見事としかいいようがない。
そして、アルバムが一周してこの曲のイントロが流れる度に、
これが、この毎日が、オレにとって14番目の月だ、と意識して、青臭くもめらめらと心を燃やすのだ。


一緒にアルバムを聞いていた者も含めて、仲間がみんな就職や進学をし、
新しい目標に向かって旅立っていくなか、
僕は、「燃え尽き症候群」ではないが、結果的に、
目標の無い生活に何年も身を置くことになった。
とにかく死なずにいればいつか何とかなる、ただそう信じるだけの暗闇の日々だった。


自分なりの「深夜特急」を描いてみようか。
そう思い始めたのは、いつごろだったろうか、もはや定かでないが、
ある意味必然的だったのかもしれない。
高校生の頃はじめて読んで抱いた「オレもいつかは」の気持ちを、ちょっと本気で掘り起こしてみようと思った。
日本でいい。その代わり自転車で。
そのアイデアが浮かんだ辺りで、気持ちは固まって、準備は加速していったのだった。



米軍嘉手納基地も程近い、沖縄県うるま市は具志川野外レクリエーションセンター。
喜屋武岬まで70キロ弱の距離にある、ここが、最後のキャンプ場所になった。
最後の夕食は、「豚と牡蠣とほうれん草の味噌キムチ鍋」。
隠岐で知り、長崎で買い足したあご(トビウオ)で出汁を取り、甘めの白味噌にキムチの切れ味を足して、
食材も奮発して丁寧に料理した鍋は、最高に美味しかった。
明日着る服も決め、今日できる全部の作業を終えて寝袋に入ったものの、
まだ時間が早いからか、明日のゴールに前夜から緊張しているのか、
意識は冴えるばかりなので、テントを出て散歩することにした。


いま、僕が見上げる空に、月はある。
今夜は満月、既に15番目の月が、
太陽のように僕のテントや自転車を照らして、
何をするのにも、どこに向かうにしろ、もうライトも要らないくらいである。



パンク修理もこれで最後だ

2009/02/10 [02:24]

いよいよだ、沖縄県。


奇しくも2度目の乗船となったフェリー「なみのうえ」が、
緑豊かな瀬底島をぐるりと回って、沖縄本島北部の本部港に入港しました。
その日ははもう夜だったので、港近くのバス停で浅く眠って夜明けを待ち、
まずは最北端の辺戸岬へ向かって走ります。


高い空、青くて白い海の色。亜熱帯らしい樹木草花の様態。石の家に石の瓦。
そして色んなシーサーが、家々の門扉の上で、ある者は勇ましく、ある者は可愛らしく、構えています。
僕に沖縄に来た確かな実感をもたらしたのは、そんなシーサーたちでした。


北へ行けば行くほど集落は小さくなっていき、人影も減っていきます。
最北端の辺戸岬だけはそれでも割と賑わっていましたが、
駐車場の車は、見たところ全て、レンタカーの「わ」ナンバーでした。
よく晴れて、気分も爽快、遠くに、鹿児島県の南端の与論島もばっちり見えました。
そういえば、西村京太郎のミステリーで、沖縄の手漕ぎの小舟「サバニ」に乗ってここから与論島に逃亡した殺人犯がいたなあ。
彼は今どうしてるだろうか。。。


特別天然記念物ヤンバルクイナを右に左に捜しながら、
その後はヤンバル(本島北部山林地帯)を走ります。
何しろ栗原のホームランボールも掴んでしまった、これはミラクルジャーニーですから、
本気で、ヤンバルクイナの赤色が目に飛び込む瞬間を心待ちにしました。
でも欲を出すと駄目なのですね。
ヤンバルクイナの絵が載った、野生動物飛び出し注意の標識がさんざんあるので、
否応なしに期待だけは高まっていきますが、ついに現れませんでした。
しかし代わりに、早くも開花した桜を見つけたので、(写真)
仕方ない、これでよしとしよう。



潮風を吸い、波音を聴きながら気分よく高速走行していた夕刻、
大宜味村の小集落で、
日が暮れるまでに名護に着きたかったのに、
折悪しく後輪がパンクしました。


毎回、パンクした瞬間は、アンラッキーに舌打ちしますが、
しかし僕はパンク修理の作業そのものは、いつの間にか嫌いではなくなっていました。
辺りを見回して、一番よさげな場所に自転車を倒し、
座り込んで、必要なものを全部広げて、その場で直します。


何でもない道で地べたに座り込むと、視線が犬の目の高さになって、
快いような、冴えたような、変な気持ちにだんだんなっていきます。
ふと、なぜオレはこんな見知らぬところで座っているのだ?と、
状況が面白おかしく思えてもきます。
すると今まで囚われていたものから解放されるような、
その日の目的地などもうどうでもいい、
名護に着かなくても、そこのバス停でもどこででもオレは寝れる、
行かなければならない場所など無いではないか、
という気になる。
「自由」の最も甘い部分、
最も人をワクワクとさせる部分の、肌ざわりが、
そんな時しかと掴めるのです。


自由と戯れ、自由とたたかう旅になる、と出発のときに言いました。
「この旅じたいが、長い長いパンク修理だったのではあるまいか…」
こんな言葉が頭に浮かび、
僕は、もうすんなりとこの旅を終わらせることが出来るということを、確信しました。


刻々と辺りが暗くなっていくなか、
降りだした弱い雨に打たれながら作業する僕の姿がよっぽど悲壮だったのか、
それとも沖縄の人がとくに優しいのか、
「パンクしたのか、大丈夫か?」
「大変ねえ。幾つ?」
「(車の)ライトで照らしててやろうか」
などと何人もの地元の方々が声をかけてくれました。
いい旅でした!皆さんのおかげです!
返答にならぬ返答を胸のなかで響かせて、僕は苦笑しました。



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